やわらか投資道

やわらか投資道(とうしみち)。日々の投資で感じたことをそのままつづる日記です。
答えなど
多くの人は世の中のあらゆることと同様相場において答えがあると思っているいるのではないかと思う。しかし、私はこのことが相場というものを難しくさせている原因のひとつだと思っている。

多くの人がさまよい求めている相場の答えとは、おそらく確実に儲かる手法であり、システムであり、より具体的なやり方なのだと思う。かくいう私も、最寄の図書館で2万円ちかくもする相場の本を偶然みつけ、その頃求めていた答えがまさにそこにあると分かったとき、「やったー、これで明日から悩まなくてすむぞ!!!」と誰かに気づかれぬよう声を潜めて喜んだことがある。そんなに簡単に答えが手に入れられたことを疑いもせずに・・・。

人気のある相場のブログや掲示板には毎日多くの人たちが集まっては、自分のやり方はあっているだろうかと同意を求めたり、答え合わせしたりしている。だけど、9割の人たちが負けるといわれている相場の世界においてこれほどばかげたことはない。
皆が安心できるところ、意見が一致するところにはたして相場の真実や真理があるだろうか。皆が同意できる具体的なエッジほどエッジがないと考えるべきではないのか。

答えなどないとあきらめた方がよい。

私はいつからかそう考えるようになった。答えを探す代わりにただ自分なりの仮説を立て、自分なりの結論を導いていこうと思い直した。それはいつでも正しくある必要はないし、他人と違ってもよいのだ。その試行錯誤の中から少しづつ、答えのない本質というものに近づいていけばよいのではないか。そこに誰かの答えや、同意などいらないのだ。

「答えがなければ勝てない」というのは単なる思い込みだと思う。むしろ安易な答えがあることの方が勝つことの妨げになっているのではないだろうか。答えを求め、その答えに安住することは相場の本質を遠ざけているように思えてならない。
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 12:29 | comments(2) | - | ↑TOP
勝つ理由と負ける理由
「受け入れる」ということを考えていたら、以前「勝つ理由と負ける理由は同じ」とある人が言っていたことを思い出した。

ある局面における勝敗が、欲や恐怖にかられた大衆の綱引きの結果によって決まるならそれは納得できる。ベクトルの向きは違えど、綱引きの両側の引き手の本質は人間のエゴであることに変わりないからだ。

つまるところそれは、ある局面の1回1回の勝負自体には全く優位性がないことを表している。この場合、勝つか負けるは偶然が支配するものであって確率は50%でしかない。どんなにがんばっても、50%を超えるのは困難であるのに、人はそれを超えようと日々無駄な努力を続けている。

一方で、ある局面の勝負のあとの一定時間の経緯まで含めてみれば、そこには明らかに優位性が存在している。大きなエゴがぶつかりあった後にはトレンドが発生しやすいのだ。

それは、均衡を保っていた綱引きの一方の側の引き手の何人かが力尽きて手を放してしまった状態に似ている。手を放してしまった側は後はずるずると引きずられることになる。本物の綱引きと少し違うのは、手を放してしまった何人かが反対側に回って綱を引き始めることだろうか。手を放してしまった側に新たな引き手が現れてふたたび均衡がとられるまでそれは続くことになる。

このことを考えると、利をできるだけ伸ばし損を早く切る、いわゆる損小利大の考えは理にかなっている。次の偶然が訪れるまで、順行したものはどこまでも続く可能性があり、逆行したものはどこまでも持っていかれる可能性があるからだ。

そしてなによりも重要なことだが、確率が発揮されるほど十分に取引がなされた後のトータルでの勝つ理由と負ける理由は同じではない。勝つのにも負けるのにも必然の理由がある。それは、ある局面の1回1回の勝負のあとにどのように振舞ったかにかかっている。1回1回の勝敗の当たったはずれたとは関係がないのだ。あくまでも勝率にこだわる人はその本質を見失ってしまっている。

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『受け入れること』
いつでも0にもどれるのに
境界線の上で
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 13:24 | comments(0) | - | ↑TOP
境界線の上で


いわゆる支持線や抵抗線といったテクニカル上のポイントというものは、よくみんなが意識するから機能しやすいという言い方をされる。しかし、みんなが意識するということと、それが機能するどうかは全く別の問題であると思う。

私は支持線や抵抗線をそのようにはとらえていない。支持線や抵抗線はみんなが意識するがゆえに、ただ他の場所よりも勘違いや過度な思い込みが発揮されやすい場所であると思っている。

支持線や抵抗線が機能するかどうかは、売り買い両サイドのヒステリックな欲、パニック的な恐怖という感情にかられた大衆の綱引きの結果に依存しているように思う。つまり、新規買いの欲と過去ショートの買戻しの恐怖が反対側の新規売りの欲と過去ロングの売りの恐怖というエゴの力に勝れば、支持線は機能することになる。

このことは、「トレンドという必然は、偶然に発生する」ということをよく表している。支持線や抵抗線が機能するかどうかということ、言い換えれば次のトレンドがどちら側に発生するのかということは偶然が支配するということである。その勝敗を決めるきっかけは、突然でてきた深刻なニュースかもしれないし、単なるうわさかもしれない。

支持線や抵抗線において感情的に参加する人達は次に起こることが偶然に発生するとは考えていない。したがって、次にどうなるかを強いエゴのもとに予測したのち、自らの非合理的な行動によってマイナスの期待値を背負ってしまうことになる。「受け入れること」ができない人達とはまさにこの人達である。

境界線上で繰り広げられる感情的な人達の死闘の影で、少数派の人達は冷静にこの状況を俯瞰しながら判断を下している。彼らはこの戦いの結果が偶然に左右されることを誰よりも知っているから、どちらが勝つのか予測したりしない。当然のことながら欲で興奮したり恐怖に怯えたりすることもない。彼らがすることと言えば、期待値0の状態でただその状況や結果を「受け入れること」だけだ。

結果的に少数派はプラスの期待値を得られることになるが、もしみんなが支持線や抵抗線を意識しなくなったとしたら、意識したとしてもその後合理的に行動するとしたら、それらの境界線上における優位性は消えて期待値は0にもどってしまうだろう。
それは、境界線自体がなんら優位性をもつことではないということを意味しているが、多くの人達はそのことに気づかない。結局そのことが、境界線上に優位性が存在し続ける原因となるのだけれども・・・。

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『受け入れること』
いつでも0にもどれるのに
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 07:52 | comments(0) | - | ↑TOP
いつでも0に戻れるのに
相場において『受け入れる』ことは、期待値0の状態を意味している。9割の人達がマイナスの期待値を背負ってしまう世界においてはそれだけでも十分価値のあることだと思う。

しかし多くの人は不確実なマーケットに対してプラスの期待値を得ようと無謀な予測を試みている。単なる予測は人間の持つ特異なエゴの力によっていつしか「こうなるはずだ」あるいは「こうなるにちがいない」といった強いバイアスへと変わっていく。

皮肉なことにこのような行動が、『受け入れる』ことのできる人達にプラスの期待値を与えてしまっている。

「トレンドという必然の動きは偶然に始まり偶然に終わる」と私は考えている。偶然はいくら予測しても当たらないのだ。もしその予測が当たったら運がよかった・・・ということにしかならない。残念ながら運だけではトータルで勝つのは難しいだろう。トータルで勝つためには、やっぱり『受け入れる』ということが必要だ。『受け入れる』ことで必然の動きを捉え、プラスの期待値を得ることができるのだ。

人はいつでもこの『受け入れる』状態に戻ることができる。なぜならそれは人間の意識だけの問題だからだ。しかし多くの人は今日も相変わらずあてのない予測に明け暮れている。それはきっと『受け入れる』というつまらない無作為に耐えられないからだろう。

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偶然に賭けるゲーム
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 08:42 | comments(3) | - | ↑TOP
『受け入れること』
毎日、毎日相場のことを考えている。
自分なりに思いついたこと、発見したことを大きなノートに書き綴ったりもする。

しかしそこから得られる相場の真理はどのような切り口、プロセスであっても、結局いつも同じシンプルな真理にたどりつく。それは、『受け入れる』ということだ。

どのような具体的な手法も理論もその真理の前では取るに足らないものに思える。そこには、わくわくする要素も、どきどきする要素もない。実につまらない相場の真理である。

人間は元来、面白く生きたいようにできている。相場においてそれは、明日の相場を予想することであり、株価よ上がれと期待することである。(本当はそれが面白くない道へと自らを導いているということも知らないで!)

『受け入れる』ことはその対極にある。ひょっとして相場の真理を知った人たちは、いつか語ることをやめてしまうのではないか。それは『受け入れる』ことの当然の帰結に思えるからだ。(そして面白おかしいブログだけがネット上に溢れることになる。ああ、つまらない!!)

このことは別に相場だけに限ったことではないと私は思っている。むしろ人生において、『受け入れる』ということは、より重要な意味をもっているように思える。

人間は人生において常に積極的に何かを為そうとしている。
「努力し、我慢し、期待する」
このような言葉はポジティブに受け取られるが、その裏側には
「努力しなければならない」
「我慢しなければならない」
「期待しなければならない」

といった使命感や義務感がある。

それらはたいてい人間の心理的な不足感から生じている。その不足感というものは人間が創り出した虚像であって必ずしも真実ではないと思う。自らありもしない不足感というネガティブを創り出してそれを克服しようとする様は滑稽だけれども、人間のエゴは無意識のうちのこの所業を正当化してしまっている。

人間には元々エゴありそれは切り離せない。なぜならエゴは自分そのものだからだ。エゴが時にマイナスの結果を招いてしまうのは、エゴ自体が悪いのではなく真のエゴを偽りのエゴが抑えようとしているからではないのか。

真のエゴを受け入れることができたら、人間は努力したり、我慢したり、期待したりする必要はなくなるだろう。相場でたとえるならそれは期待値0の状態にほかならない。その状態の中に、本当の面白さは埋もれているのではないだろうか。

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期待しない生き方と相場
努力しない努力
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 07:50 | comments(2) | - | ↑TOP
バイアスは拒むものではなく受け入れるもの

・損失回避(利益は早く確定し、損失は我慢する)
・ギャンブラーの誤謬(これだけ下落が続けば明日は上がるだろう)
・埋没費用効果(ここで損切りしたらすべてが無駄になる)
・バンドワゴン効果(みんなが支持しているから正しい)
・アンカリング(直近の価格で判断して値ごろ買い)
・確証バイアス(自分の予測に合うものだけ選択する)
・自己奉仕バイアス(成功は自分の実力、失敗はマーケットの気まぐれ)
・認知的不協和(事実をすり替え正当化する)
・少数の法則(少なすぎる事実からすべてを判断する)
   
 上記は相場において8割の人が常に負け続ける原因ともされる人間のもつ認知のゆがみ、いわゆるバイアスの一例です。下落が断続的に続く今のような相場の中で、このようなバイアスにかかった人を見つけるのはおそらく簡単であろうと思います。実際、株式のブログを少し覗けば、
「さすがに明日は上がるだろう」
「今が絶好の買い場だ」
「今を凌げば必ず報われる」
というバイアスがかった言葉を見つけることができます。このような言葉が羅列されたブログ主の成績が思わしくないないことは想像に難しくありません。

 『ではこれらのバイアスを逆に利用すれば儲けれるのではないか』

と誰もが考えます。これらのバイアスにかかった人達の真逆の思考をすることで儲けようとする試みです。しかし完全な裁量においてそれを行おうとした場合、それは人間である以上非常に困難であると思います。程度の差こそあれ私たちは何らかのバイアスをもって物事を見ています。裁量においてはチャートを見て判断するという行為でさえ、何らかのバイアスがなければ判断の仕様がありません。

 仮に多くの有害なバイアスを取り除けたとしても「自分はバイアスにはかかっていないと思うバイアス」を取り除くことはできないのではないでしょうか。みな自分は正しく、人より上手くやっていると思いたいものです。自分がバイアスにかかっていないと思うのはごく自然なことです。
 しかしながらそのバイアスは、結局のところ冒頭に挙げたような相場において好ましくないバイアスを生んでしまうように思います。

 そもそもバイアスにかかってしまう心理もそれを利用しようとする心理も根の部分ではどちらも同じ心理状態にあると思います。私に言わせればそれは人間のエゴに他なりません。相場を予想してやろうという思いもバイアスにかかった奴を利用してやろうという行為も人間の勝手な都合でしかありません。相場は本質的にそのような人間の都合のいいように動いてくれません。都合よく動いてくれるなら8割の人は負け続けなくて済むはずです。

 もし真にこれらのバイアスを利用して儲けにつなげようとするなら、バイアスを拒絶することではなく受け入れることを考えなければならないと思います。自分は常にバイアスにさらされていて、そのバイアスからは逃れることができないというところから始めなければならないのではないかということです。その前提において、システムなり手法なりを確立していくことが必要なのではないかと思うのです。

 例えば「損失回避」のバイアスは、「同額の利益から得られる満足よりも損失から受ける苦痛の方が大きい」と感じることとによるバイアスですが、利益による満足よりも損失回避が優先されることにより結果的に利益は小さく、損失は大きくなってしまう原因とされています。逆行した相場に対してナンピンでリスクを大きくとってしまうのもこのバイアスによるものです。
 これらを利用するシステムを考えるとどうなるか。当然のことながら私たちは同じバイアスをもっているので、それは心理的に苦痛を感じるシステムになってしまいます。つまり、「損失はすぐに受け入れなければならない、ナンピン買いの代わりに買いのせする、利益はとことん追求する」システムということになるはずです。この居心地の悪いシステムを受け入れることで初めて、バイアスを利用できるということになるのではないでしょうか。

| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 16:23 | comments(0) | - | ↑TOP
強者は溝を掘り弱者は水を注ぐ
 矢口新さんの『ポジションの量と保有期間が方向性を決める』という言葉を、私は『保有耐力のある者が方向性を決める』と自分なりに少し変えて表現しています。大きなポジションを長期間保有できるということは、言い換えればその長期間の保有に耐えうる力を有しているということに他ならないからです。
 例えばヘッジファンドなどの取引はポジションの量こそ巨大ですが、通常何倍ものレバレッジをかけて運用してるがゆえに、長期間の保有に耐えることができません。結果、短期間の反対売買を繰り返すことになります。ことあるごとに恐れられるヘッジファンドですが、長期間でみればみるほどそれは保有耐力を持たない者、つまり弱者側であると言えるのです。

 相場においては常に、保有耐力のある強者と保有耐力のない弱者が存在します。では、相場における一定のトレンドとはどちらがつくっているのか。一義的には強者側ですが、それは十分な答えではないように思います。強者側に株を売り、また強者側から買ってくれる弱者の存在がなければトレンドは決して生まれることがないからです。
 このことを私は下図のようなイメージで捉えています。
 

 まず強者が素掘りの溝を掘ります。しかしそれは方向性を決めるだけで流れをつくることができません。そこに弱者という水が注がれることで流れになり、やがてうねりのある川になるというようなイメージです。

 この場合うねりはランダムですが大きな視点で見た場合には一定のトレンドを有しています。トレンドの方向性は自然の物理的な現象と同様最初に掘られた溝に沿っているはずです。
 このように強者と弱者はトレンドをつくるという点において、表裏一体の役割をもっているのだと思います。しかしながらこのことが、一定のトレンドを捉えるということを困難にさせているように思います。一定のトレンドがランダムな流れによってつくられるという漠然とした矛盾がそこに存在するからです。

 またどこに視点を置くかによってもこれらの強者と弱者は変わってきます。ある時間枠において強者となる者が、より大きな時間枠においては弱者でありランダムな存在となりえるのです。数ヶ月にわたり取引をする者にとって日ばかりのトレーダーはとるに足らない弱者ですが、寸劇のスキャルパーにとってはガリバーのような強者の存在になるかもしれません。
 このような相似形とも言える関係が様々な時間軸において同時に成り立っているのが相場であるのだと思います。 そのため誰が溝を掘る者となり、誰が水を注ぐ者になるのかは自分の売買する時間枠を中心とした相対的な視点が欠かせません。それはそのまま、自分にとって味方はどちらか側かをみることにつながるのだと思います。

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ポジションの傾きとは何か
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 09:38 | comments(0) | - | ↑TOP
ポジションの傾きとは何か
 為替市場の売買比率や株式市場の信用貸借比率は、潜在的な売り買いの圧力の大きさを見るためによく用いられます。いずれの指標も買い建てが大きければ将来の売り、売り建てが大きければ将来の買い圧力が大きいと解釈されます。この状態は、ポジションが傾いていると表現されることもあります。
 しかし市場全体で見た場合には、ポジションは常に一定であり傾きというものは存在しません。ある価格においていつも売りと買いが1:1で成立することを考えればそれは自明のことかもしません。

 為替市場においてくりっく365の取引量というものは、市場全体の取引からみてごくわずかです。この限られた市場における買建て残と売り建て残をもって売買比率としているわけですが、もしくりっく365においてある価格の売り買いの注文のどちらかに偏りがある場合、カバー先の金融機関のインターバンク市場を通じたオペレーションによって即座に偏りが是正される形で反対売買がなされるはずです。正確には、くりっく365を含めた市場全体の売り買いの注文が常に1:1になるように取引価格が設定されていると思われます。(専門家ではないので多少解釈、表現がおかしいかもしれません。)


 
 株式市場における信用取引についてはどうでしょうか。信用取引というのは仕組み上現物取引と区別して取り扱われますが、市場全体で物理的な構造だけを考えれば、すべて現物取引と同じとみなすができます。その場合信用買いというのは、証券会社から一部お金を用立ててもらって株を購入する現物買いであるし、信用売りというのは証券会社から株を借りて売却する現物売りということになります。これらを整理すると、下図のように買い手は新規の現物買いのみ、売り手は過去の現物買いの決済売りのみとなり、それぞれ1:1で成立することになります。市場全体で見れば、株の保有者が右から左へ変わるだけでポジションは常に一定です。どこかに得たいの知れない売りや買いが市場に存在しているわけではないわけです。

 
 長々と市場全体ではポジションの偏りがないことを説明した後で、それではポジションの偏りとはいったい何かという本題に入っていきたいと思います。
 一般的に言われるポジションの偏りとは前述したように、為替市場の売買比率や株式市場の信用貸借倍率から読み取れる残ポジションの多少による傾きです。しかしそれらの取引残高はどちらも全体の規模から比較すると数パーセントの規模でしかありません。このわずかな規模しかもたない取引の残高が注目されるのは、それが比較的短期で反対売買される性格のものであるからです。

 しかしそもそもなぜ比較的短期で反対売買される性格のものが注目されるかと言えば、その反対の性格を持つポジション、つまり短期で反対売買されることが全くないか、あるいはほとんどないポジションが長期的な方向性を決めるというごく物理的な事実があるからです。これらの売買は実需と呼ばれ、為替市場においては輸出業者のドル売り円買い、輸入業者の円売りドル買いが、株式市場においては年金や生保などの機関投資家の売り買いがこれに当たります。

 「生き残りのディーリング」で有名な矢口新さんはこのことを『ポジションの量と保有期間が方向を決める。』と表現しています。より多くのポジションをより長く持っている側が最後には勝つということを言っているのです。

 このような視点で見ると、為替市場の売買比率や株式市場の信用貸借倍率というのはどちらが弱者側かを占う指標ということができるかもしれません。しかしながら、これらの指標の傾きをもって単純にどちらかが弱者側かを特定することはできません。何度も言うように、それらの規模が全体に対して小さすぎるからです。
 もしそれらの指標においてポジションが傾いている弱者側に実需の側がつくなら、それは見せかけの弱者ということになります。ポジションが一方向に積み上がりながらもその側の有利な方向への相場が継続するのはそういった背景があるものと思われます。

 このようなことから、相場の方向性を決定付ける強者側の意図を無視してこれらの指標をただ鵜呑みにすれば、真の方向性を見失うことにもなってしまいます。真の弱者か偽りの弱者かは、強者側の動向をもって判断しなければならないのです。市場における真のポジションの偏りとはその動向にあるのだと思います。

(関連記事)
ポジションの量と保有期間が方向を決める

(参考文献)
| やわらか投資道-技術面 | 11:20 | comments(2) | - | ↑TOP
偶然に賭けるゲーム
  相場参加者の心理が楽観的になったから価格が上がったのか、価格が上がったから楽観的になったのかということは微妙な意味合いを含んでいるように思います。

 先日のギリシャ問題を発端とする急落の直接のきっかけとなったのは、漏れ伝わるところによると当初ささやかれた誤発注などではなく、ある老舗の投信投資顧問会社によるシステム的な先物のヘッジ売りだったとのことです。
 当の顧問会社にとって急落は、自分たちの意図が招いたある程度必然の事象であったわけですが、一方のそれを受けた多くの相場参加者の側は、寝耳に水の出来事であって、それは偶然の事象以外何物でもありませんでした。

 急落によって多くの参加者は悲観的になり、それがまた下落を加速させることにもなりましたが、最初の段階では最終的な下落を演じさせるほど心理が悲観に傾いていたわけではありませんでした。
 一連の急落は「価格が下がったから参加者の心理が悲観的になった」ということを示す顕著な例になったように思います。

 人間の相場心理を追う上でこの点は非常に重要な視点であると思います。人間は自分が買った価格より上がればうれしく楽しい気分になり、逆に下がればつらく、嫌な気分になるものです。それは、どんなに複雑なテクニカル指標よりも直接的で確かな指標と成りえるように思います。
 オーシレーター指標の買われすぎのシグナルをもって単純に逆張りをして、さらにその方向へ持っていかれ踏まされる羽目になるのは、そういった重要な視点を欠いていることもあるように思います。

 今回の件でもう一つ重要なことは、一定のトレンドという必然の動きが偶然に発生したという事実です。最初の売りのきっかけが、たとえ誤発注によるものだったとしても、多くの参加者にとっては同じく偶然の出来事であり、おそらく結果は変わらなかったはずです。
 一方この裏返しのランダムな動きは必然に発生するというのもまた真理であると思います。多くの参加者の心理は通常、楽観と悲観が混在していて、それが結果としてランダムな動きをつくっているのだと思います。しかし、今回のようなショックを受けると、楽観と悲観はどちらか一方に傾いて一定のトレンドは生まれるのだと思います。

 その意味で相場とは人間の直接的な心理を読むことで偶然に賭けるゲームだと言えます。偶然に賭ける以上一定の負けは必然となります。それは受け入れなければならないものです。しかし、もし一定のトレンドが必然に発生すると考えるなら、負けは間違いとなり、とたんに受け入れるのが困難になってしまいます。それは相場の本質とはかけ離れた考え方であると私は思います。
 私たちはいつもほとんどランダムが支配する器の中にいることを忘れてはならないのだと思います。
 
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 10:36 | comments(2) | - | ↑TOP
チャートでなく人を追え!
 優位性が逃げていく性質のものであるならば、一体何を基にそれを想定しまた捉えればよいのか。デイ・トレードにある「株式ではなく人を取引する」という言葉がそのヒントを与えてくれているように思います。

 株式というものが人間心理を反映し、その偏りが相場における優位性を生むならば、その人間心理というものを追いかけることで優位性は手に入れられるのではないか。

 言葉で言うのは簡単、でもどうやって?

 多くの人はその解をテクニカル分析に求めようとします−トレンド系やオーシレーター系などの二次指標さらには酒田罫線法の線組みに至るまで。しかし、このような人間心理をテクニカルに当てはめて理解しようという行為は自らを罠にはめてしまうように思えます。

 物事の因果関係を一対一で結びつけ、理解を単純化しようという行為は人間の本能的な習性です。しかし、おそらく相場は本質的にそのように単純にできていません。単純化しようとする人間の行為そのものが、相場を複雑にしている面があるからです。優位性が逃げていくのと同じ理由で、そのような因果関係も少しづつ変化しやがてランダム化してしまう運命にあるのだと思います。

 では、どうやって?

 私はもっと人間を中心に相場を追わなければならないと考えています。確かに相場の多くの情報は、チャートからしか得られません。しかしどのようなやり方であっても、そこから紋きり型に解釈をするようでは、いつまでも同じ罠から逃れることができないように思うのです。
 各種のテクニカル指標や特定の自分の中にある特定のチャートパターン認識などはできるだけとっぱらい、価格と出来高という一次指標だけにたよってチャートをみるのがよいと思っています。いろんなものを取り入れれば取り入れるほどバイアスは多くなると考えるべきだと思います。

 そして価格と出来高の純粋な推移から自分なりに物語(ストーリー)を考えることで、より本質的な人間心理による動きがみえてくるのではないかと思っています。それは現時点までに至る様々な時間枠の買い手と売り手のドラマを具体的に描くというようなやり方です。
 具現化されたチャートの形が多少変化しようとも、つらい、うれしい、怖いといった人間の本能的な感情の動きというものは変わることがないように思います。このやり方はそこに焦点をあてようとするものです。 

 また、よいニュースが出たのに価格が下がったあるいは悪いニュースに価格が反応しなかったというようなある出来事に対する相対的な値動きの事実の方がより重要なメッセージである場合があります。
 
前者は弱気後者は強気の相場心理を映すものですが、一本のローソク足だけが示す同じような相場心理よりも直接的で信頼性があるものであると思います。
 一方でこのような現象をそのまま理解するのは容易ですが、テクニカルやシステムを通してではほぼ不可能です。そのことは複合的な事実認識の仕方というものが、罠に陥るリスクを減らしてくれることを示唆しているのだと思います。

(関連記事)
優位性とは何か
優位性は逃げていく
 
| やわらか投資道-心理・マネジメント面 | 10:42 | comments(3) | - | ↑TOP
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